大好きなもんたと二人で旅行をした写真はたったの4枚しかなかった
鉄道が大好きだった自分に彼は付き合ってくれた
中途半端な計画だったので相当振り回してしまった記憶がある
時代はまだ国鉄の頃、走っている列車はたくさんあった
当時周遊券と言うものがあって往復の交通費と現地でのフリー区間がセットになっているものだ
更に魅力的なのは往復の列車は急行の自由席を使うことができた
ブルートレインが好きだった当時 寝台車ではないが夜行列車に乗ることにした
まだエアコンもなくドアも手動の旧型客車が現役で走っていた時代
そんな中で新型客車12系が急行の主流だったのだが特急車両として使われていた最新鋭14系が急行列車として使われる事があった 臨時列車のときだ これを狙ったのだ
今でも覚えている急行十和田53号 常磐線経由の青森行きだ
旅行当日 もんたの家に集合 多分自転車で行って自転車はもんたの家に預けてもらって
その後はもんたの親に車で白岡駅まで乗っけていってもらったのだろう
旅の始まりは白岡駅 遅い時間になっていていたのでホームは閑散としていた記憶がある
上野到着 絶対に座りたかったのでかなり前から並んだ記憶がある
常磐線なので高架ホーム 多分9番線辺りだったと思う
当時の上野駅は昼と夜では入線してくる列車がガラッと変わる
昼間はクリームと赤のツートンカラーの特急、湘南色の急行や鈍行が多いが
夜は青色の列車が圧倒的に多くなる でもこの日はその楽しみを味わう余裕などない
列車が推進回送で入線してきた 14系客車を確認してホッとした
折りたたみ式の自動ドアが開いて車内に乗り込む
早くから並んでいたがさほど混んではいなかった
リクライニングシートが嬉しかった しかし乗った車両はディーゼル発電機が付いている車両だった
デッキの近くに座ってしまった デッキのドアが開くとディーゼル発電機の音が入ってくる
結局この音がうるさくて殆ど寝れなかった
朝4時に松島に到着 降りたのは自分たちだけ 車内を見ると皆寝ている
フリー区間で乗れる仙石線に乗った その後仙石線には何度も乗った
4枚の写真にある松島タワーに行った その下は宿泊施設になっていたのかな
古くて豪華っぽい建物があった そこで食事をしたのだが大広間的なところだったので
列車の中で寝られなかった分昼寝した
野蒜という駅にユースホステルがあってそこに宿をとった1泊2食付きで4千円しなかった
ユースホステルにチェックイン 個室ではなく集団生活のような感じ
食事も皆で一斉に、用意や後片付けも自分たちでやる
食後のミーティングもあってコミュニケーションはばっちり
ただ 自分たちの年代の人はだれもいなく みんなお兄さんお姉さんばかり
男性が女性に声かけて遊んだり話をしたりしていたのを見ていた
楽しそうだった
翌日 皆それぞれの目的地に去っていった
連泊したのは自分たちだけ
その日はそのまま海に行ったのかな ラジカセ持っていったので音楽聴きながら浜辺で過ごした
海は沢山の人で溢れかえっていた ちょっと大人に背伸びをしたような感じ
その日の夜 ユースホステルの雰囲気は自分たち的にはちょっと残念だった
前日は気軽に声をかけてくれたお兄さんお姉さんたちがいたがこの日僕たち二人は蚊帳の外だった
次の日 行ってみたかった盲腸線の利府駅に行った 写真であるのがそうだ
レッドトレインと呼ばれていた50系客車に乗ることができたのだ
普通列車タイプの客車なのに自動ドアだったのはびっくりした
利府で1時間位すごした
その後帰ってきたと思うのだがどんな列車に乗ったのか全然覚えてない
この旅行 もんたはつまらなかったと思う
この年の冬高校の同級生と生まれてはじめてのスキーに行った アルバイトしてたからお金あったのかも でも全然滑れなくてしかも足の爪痛めてしまってつまらなかった
そんな中で唯一嬉しかったのが若い仲居さんが気軽に話をしてくれたことだ
自分から見たらきれいなお姉さんだからもう照れちゃってあがっちゃってたけど
相手がうまく話をしてくれたのでとても楽しかった
後は生まれてはじめて特急電車乗れたことかな
同級生は冷たかったしスキーはつまらなかったし楽しかったのはそれだけ
スキーにも行ったし大好きな友達と二人旅もしたし 結構楽しかったかな
生意気になってきてたけどね
うちはお金なかったのに好きな学校に行かせてくれてやりたいことやらせてくれて
親にはほんと感謝している
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